報連相を後回しにした失敗から学んだ“逃げたい心理”

今日の気付き
報告を怠ると、その相手だけでなくその先の人達にも迷惑がかかるよって話

当たり前のように感じる話だが、ある仕事において相手方への連絡を怠っていた
理由としては忘れていたのだが、後回しにした結果、忘れてしまったというのが本当のところである。

なぜ後回しにしたのか?メール一本、電話一回で済む話であったのに起こったということを考えていく

ここは原因論と目的論を考えてみることで今回のことに関する自分の捉え方を見てみる

まず原因
これは決定するプロセスにおいて、自らが直接関わることがなく上司にあたる人間が対応したからだと考える。
つまり、自分というものの必要性が感じられないことが問題なのである

自分でなくても良い仕事に対してやる気を出せない結果、後回しにしたという考え
これに関して、仕事の重要度とかは関係ない
自分のやる気に依存した考え方であり、あくまでも愚行であることは周知の事実である

しかし、その時の自分はその原因があることで後回しにしてしまい、忙殺され、相手の先に相手がいることすら想像できず不快な思いをさせてしまい、その結果自分が不快な感情になってしまったという悪循環に囚われている

次は目的論である。
これは難しい
どんな目的が自分の中にありその行動を取ったのか?
仮にこれを仕事をサボることを目的とする
しかし仕事をサボるということは、目的というよりも手段ではないかと思う
より高次(あるいは低次)のレベルで目的を遂行させるために自らが行動したと考える
それは何なのか?

これは人がなぜ仕事をサボるのか?という問いになると思う

人が仕事をサボる理由
やりたくないからだというのは間違いない
目的意義や達成したい目標が描けないあるいはズレている
だからやりたくないのである
では、何がやりたいのか?と問われると明確な答えは持っていない
あるならばそれをやるために人は動くと考えれる
しかし、ないからこそ簡易な娯楽に逃げ、結果サボるのではないかと思う

つまり目的はなんなのか?本当にやりたいことをやるための方法がわからないからやりたくないことをやらない
やりたいことが見つからないという状況からくる無気力なのかと思う

特にこれをやっても何も変わらないと思うことほど人はサボるし、やることがないあるいはやる意義を見いだせない
あるいは失敗することを恐れている人間はサボるのではないか?

自分はきっと失敗へ対する過度な恐れがあると思う
恥をかきたくない
怒られたくない
嫌な思いをしたくない
人から恨まれたり憎まれたりしたくないという感情が勝手に増長した結果だと思う

だからこそ、失敗しないつまりやりたくないことはやらないになる
やりたくないことは自信がなかったり、なにか不安があったりすることなので、動けないし動かない

そうやって逃げている人生なのだと、否逃げたい人生なのだとこの一件から感じる

失敗という恐怖への克服
失敗と闇への一歩
このブログを書き続けることで内面への理解を深め、自らが立ち向かえる勇気ある人間になれることを願いこのブログを終えます

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